人権用語法案③

更に人権用語法に関しての続きです。

②の最後で書いた「そもそも人権擁護法なんて物がこの国に必要なのか?」と言う疑問です。
実際の話、現在の日本にはアパルトヘイトや、カースト制度がある訳じゃありませんし、水飲み場を分けられたり、バスで後ろの方に座れ!と強制されたことが有る人も居ないでしょう。都会に住む人は特に差別問題に直面する事など無いという人が多いでしょうね・・・かく言う私も今まで生きてきて、そんな差別問題に直面したことは正直な話有りません。
勿論差別をしたこともありません。


では、この国に差別はないのでしょうか?


実はもの凄く沢山存在します。それも我々が耳を疑うような凄まじい差別が現在も存在しています。


その代表的な物が部落問題でしょう。



部落の話は風の噂程度には聞いた事がある人も多いのではないでしょうか?
日本は昔から多くの少数民族が住んでいました。江戸時代に鎖国するまでは、何ヶ国語も喋れる商人が存在した程、周辺国とも頻繁な交流があり、遠くはインドネシア周辺まで行き来していたのは有名な話です。
当然出て行くだけでなく、多くの外国人が日本に入ってきており、そうした人々の集落も多数存在していました。その歴史は古く縄文弥生時代には既に外国人集落も存在したとする説まで有ります。稲作、製鉄等の文化も外来文化な訳ですからそれも当然でしょう。
長い時間の中で混血も進んでいき、自然消滅した集落も有れば、権力者に滅ぼされた集落も存在します。一説にはの正体はそうした外国人だとする説もあり、鬼退治の伝説はそうした進んだ文化を握る集落を壊滅させ、独占する為の方便だと言うのが現在では定説になりつつあります。
その他にも、秀吉の朝鮮出兵時に連れてこられた朝鮮人なども日本の焼き物文化に多大な功績を残し、有田焼などを生み出したのは有名な話です。

戦国時代まではそれでも数多くの民族が、多くの集落を構えていましたが、鎖国政策が取られた江戸時代以降その数を急速に減らしていく事になります。
皆さんもご存じの「エタ・ヒニン」と言う階級が出来た事がその要因です。士農工商(浪人)と言う階級の元に人々が統治されていた封建社会の江戸時代、エタやヒニンとされた人々の多くは犯罪者や、こうした少数民族の人々でした。エタヒニンとされる前も、やはり独特の文化や風習がある人々ですから、周辺の村々から浮いた存在だったので目を付けられた訳ですね。
彼等は基本的な人権?など欠片も存在せず、お上に向けられないフラストレーションの捌け口として差別されるだけの為に存在していた階級の人々です。

当然彼等が住む場所は河川敷や、酷い山奥等普通の人々が暮らすのを嫌がるような所に追いやられ、誰もやりたがらないようなキツイ仕事以外に付く事は出来ませんでした。
そんな暮らしから逃げ出す方法は、流浪の民として戸籍を知られない場所へ逃げ出すしか有りませんでしたが、集団で遠くの村に入り込む事など出来るはずもなく、自然とバラバラになって行くしかなく、そうして自然消滅した集落もありました。

もう一つの方法は女性に限定されますが「遊女」として買われて行くという方法です。

遊女になれば元の身分を誤魔化しやすいですし、エタ・ヒニンでは考えられない高収入を掴み取るチャンスもありましたから、多くの女性がこの手段で集落を抜け出していく事になりました。
多くの女性が抜けてしまえば、集落としては自滅するしか手段が無く、そうして消えていった集落も勿論あったでしょう。しかしそれでも何とか生き延びた集落もまた存在しました。

明治時代になり鎖国をといて、再び外国文化が流れ込んできましたが、そうした世の中になってもエタ・ヒニン達に対する差別は当然残っており、驚く事に現在に至るも残り続けている訳です。
まあ逆に考えたら、300年以上も差別が続いていたのに、明治以降にいきなり無くなると考える方が難しい話でもありますね。


先にも書きましたが、我々の多くはそうした差別の存在をあまり目にする事はありません。しかしそれはそうした差別の多くが、表向き無くなっているだけの話で、陰湿な目に見えない様な深い所で脈々と少数部落の人々は差別を受け続けています。

かといって目に見える形の物が皆無という訳でもなく、目に見える形としては今でも部落の多くが川縁の水捌けも悪く、洪水時には被害を受けやすい所に住み続けています。これは先祖伝来の土地な訳ですから自然とそうなる訳ですけど・・・・・・。
しかし、その部落手前までの河川敷はコンクリートで補強されているのに、部落周辺だけは補強されないとか、手前までは河川敷の草刈りが市役所や、町役場の職員によって行われるのにその周辺だけは行われない。(一度深夜にそうした差別問題を取り上げた番組でそうした光景を見た事がありますが、笑ってしまう程キッチリと草が刈られていませんでした)そして部落に続く道にある踏切には、何時まで経っても遮断機が付かない。ガードレールが付けられない。下水道工事が行われない。最終的には行われるのですが、破損した橋の修理がなかなか行われず、4㌧以上のトラックが通れない状況が3ヶ月も続くなどの分りやすい例もあります。
しかし圧倒的に多いのは陰湿な差別で、進学、就職、結婚や農協・漁協での差別(苗が回ってこない、作物を治めても高い頻度ではねられるete)は依然として行われています。

あと私自身、その話を聞いた時には信じられなかった話としてはアイヌ民族に対する「旧土人保護法」という物があります。
http://www.geocities.jp/nakanolib/hou/hm32-27.htm
http://www.pref.hokkaido.jp/kseikatu/ks-soumu/soumuka/ainu/sinpou4.html
これは明治時代にアイヌ民族を日本人に同化させる目的で制定された法律です。
彼等の土地を取り上げるだけでなく、彼等の文化を全否定し、無理矢理日本人と同化(日本人名を名乗らせる、狩猟などを廃止、もしくは禁止して農耕を行わせるete)させるのが保護法とは片腹痛いですが・・・・・・・・・・まあ、時代のせいもあるんですけどね。
しかし、こんな法律が多少姿を変えながらも何と戦後も生き延び完全になくなったのが平成9年です!!!!!信じられますか?
彼等を日本人に同化させる際、日本人が奪い取った後の余り物の土地を住む場所や農作地を与えました。
しかし狩猟民族だった彼等に殆ど教育も無しにいきなり農耕をやらせても上手く行く訳もなく、そうすると今度は荒らしてしまった土地は「必要がない」として二束三文で買い取ったり(取り上げ)もしました・・・・・・・・。
そしてそれ以外にアイヌの人々が、様々な作業をする為の土地(農作業なら脱穀や、収穫した作物の集積。山林近くでは材木の集積、加工、漁村なら船の収納、干物作り、網の保管場所などの場所として)を個人の名義ではなく共同管理という形で与えました。
しかし、この共同管理の土地は土人達には管理する能力がない」として北海道知事の許可無しに転売する事を禁止しました。
その彼等の自由に土地を利用する事を禁止した法律が平成9年まで残っていたのです。


彼等も当然その不平等を訴え続けました。


しかし長い間それがまともに取り上げられる事はなかったのです。地道な運動を続け、それが実を結んだのが平成9年だった訳です。
しかも更に信じられないのが、その共同管理の土地を北海道が勝手に使ってしまっていたのです!これだけでも信じられない事ですが、今更返せない土地はアイヌ民族の方々に買い取りという形で変換するという事になったのですが、何と明治当時の評価額で払うと言い出したから頭が痛くなります・・・・・・・・・・。
こんなふざけた対応を平気な顔をして行う背景には、アイヌ民族に対する差別が未だに根強く残っている事に他なりません。


勿論、在日朝鮮人、韓国人に対する差別は今更私が書かなくても良いぐらい有名な話でしょう。


政治的に何の関係もない朝鮮系の商店に嫌がらせをする人は、近年拉致事件などのせいで特に増えています。
勿論個人に対する暴行も後を絶ちません・・・・・・・・そうした人々に対して、日本が嫌なら国に帰れ!などと言う人までいる始末です。


同じ日本人として本当に悲しくなるし、恥ずかしいし、腹も立ちます。


少し条件が違いますが不法就労などで日本に入り込んでいる外国人に対する扱いも凄まじい物があります。しかし、こんなにも問題は多数存在しているのに、公の場で問題として取り上げられないのは何故だと思いますか?


その答えは、その多くが違法じゃないからです。


現在日本で思いっきり差別を公言すれば白い目で見られますし、違法になる嫌がらせを堂々とすれば逮捕されます。しかし、スレスレの嫌がらせは、どんなに行っても誰も処罰出来ない状況にあります。
警察も基本的には「民事不介入」が原則ですから、何も出来ません。
そして上記の話でも分る様に差別を行うのは民間人だけでなく、自治体の中にも存在するという事です。それも権力の中枢にも存在しているという事です。


そもそも被差別者とは、社会的に見ても少数派か、権力・財力を多く持たない人々である事が多いのは言うまでもありません。


そういった人々が、権力者を相手に裁判を起こしても勝てる見込みは少ないですし、費用が無い人も大勢います。運動を起こそうにも明確な証拠もなく、圧倒的大多数の日本人はそうした差別に無関心ですから、運動を手伝う様に働きかけても、なかなか動いてくれません。
マスコミも明確な証拠がなければ、なかなか動いてくれません。動いてくれても極々一部の話で大多数の人には直接関係がありませんから視聴率が稼げません。だから深夜にドキュメンタリーとして取り上げるのが関の山となる訳です。


その結果、現在の日本はこうした問題がそこら中に転がっているのです。


差別や虐めという問題は、その被害者にならないと本当に苦しみが分りません。
しかし、圧倒的大多数の人々には直接関係のないどうでも良い話なのです。だから誰も助けてくれません。そうして長い間差別は続き、現在も継続しています。
人権擁護法案は、そうした問題を直視し、公の問題として引っ張り上げる事が出来る法律でもある訳です。これは世界的に見ても珍しい試みです。先にも書きましたが、差別とは方で明確に計りにくい問題です。ですからこうした試みは避けられてきました。


悪法になる余地が大きいからと言って、稼働してもいない内にこうしたチャンスを潰してしまって良いのでしょうか?
この点をよくよく考える必要があると私は思います。





もう少し続きますが長くなったのでまた明日。