続き④

さて、自我をボロボロにされるような責めのあと突如解放されますが、身柄が解放される訳じゃありません。
次の洗脳の段階が待っています。「新たな観念の確立」ですね、世間から切り離され、自我を破壊されて、精神的に極めて不安定になっている人々は何かに縋ろうとします。その一瞬を突いてその教団の教義を刷り込んでいきます。
「あなたは何故生まれてきたのか?」
「あなたは何故生きなければならないのか?」
「この世の中はいかに間違っているのか?」
「何故あなたはここに来たのか?」
「何故、今までの宗教ではいけないのか?」
「この教えは何故正しいのか?」
これらの事を、事細かに時間を掛けて、ゆっくりと説明していきます。通常、余程好きな人でもない限り、これらの哲学的な事はあまり考えずに生きてきている人が多いでしょう。
しかし、先の責めでいかに自分が小さく、無力で、罪深い生き物なのかを嫌という程思い知らされている信者候補達は、深く考えさせられそれに明確で自信に溢れた答えを与えてくれる、これらの教えは非常に頼りがいがあり、信頼に足る物に思えます。

現在世界は非常に多くの価値観に溢れています。
特に現在の日本は戦後一度それまでの価値観が崩壊しており、欧米系の価値観と、古来からの価値観が混在している状態にあります。こうした社会で、何を信じて生きていけばいいのか分らない人、信じていた価値観に裏切られるかのような不幸に見舞われた人が多いだけに、これらの確固たる価値観は余計に説得力があるとも言えます。

ここで、教祖の説法や、いいかげんな奇跡(笑)などを見せる事で、より強固な物にするようですが、幾ら文章で書いても胡散臭いだけですね(爆)
そして、止めとも言えるのがこの一言「皆さんは選ばれてここに来たのです」
他の大勢の人々の中から、特別に選ばれて、我々の仲間、家族になるのだと説明する事で連帯感を高めます。世の中に不信感を持ち、不幸にぶち当たった人々にこのセルフは殺し文句になるんですね。

そして、テストとなるわけですが、これは皆さんがイメージするテストとは大きくかけ離れています。ペーパーテストや、体力テストではなく、表向きには煩悩を払う為の修行とか言われるようです。
皆さんも、テレビなどで見た事はないでしょうか?
道場などの広い場所で、信者がご神体などに向かい正座をして、一心不乱に祈りながら上半身を狂ったようにうねらせると言うか、踊っている姿・・・・ピーにしか見えないアレです。

アレを信者候補にやらせます。
あの奇妙な祈りは、最初普通にお経を上げるなど普通のお寺で見かけるようなスタイルで始まりますが、ご神体に祈りが通じると、体の中の煩悩がエネルギーとなって体を突き動かし、自然とあの動きになると言う物なのですが・・・・・・・・・・・・・・


成るわけ無いじゃん!


しらふであんな馬鹿みたいな行動をやれる物じゃありません。つまりコレでどれだけ洗脳が進んでいるかを見るわけですね。
儀式始まる時に「熱心に祈れば、必ず自然に体が動き始めます」と言い含めておき、現役信者も交えてテストは始まります。
しばらく祈りが続くと、現役信者はいつもの通りに怪しいあの動きを始めますが、信者候補の人々は当然そんな衝動が簡単に来るはずもありません。そこで、そばで見ていた信者達が囁いて回るわけですね。
「もうすぐですよ、もっと熱心に祈りなさい!、必ず来ますからね、必ず」
コレを繰り返していると、そのうちに信者候補の中からも、体を動かし始める人が出てきます。
それに釣られるように体を動かす人が増えていきます。または動かさないといけないような気がしてくるので、無理にでも動かす人が出てくると言うべきでしょうか?
そうして一心不乱に体を動かすと、頭の中がボ〜ッとして来ます。一寸試すと分りますが、正座やあぐらを組んで、上半身を思いっきり出鱈目に激しく動かすと、脳しんとうのような奇妙な状態に簡単になれます。別に奇跡でも何でもありません(笑

この儀式の際に、本当に薬物を使う危ない教団もあるようですが・・・

こんな事を何回か繰り返させると、軽いトランス状態になり、人によっては本当に失神する人も出てきます。
そして、コレが終了すると非常に大きな脱力感と、頭に正常に血液が流れる事で爽快感が得られます。そこに「どうです?俗世の悩みなど頭から消えていくでしょ?」というような事を言われると、その様な気分になってくる物なんですね。
ろくな食べ物を与えられていない、睡眠もろくに取れていない状態では更に効果があると言われていますから、彼等の多くはコレで教団の力を信じていく事になります。

別に教団を胡散臭く思っていない人でも、体が動かない人も必ず出てきます。
この人々は洗脳が上手く行っていない人々だと言えます。教団に対して反旗を翻さなくても、プラスにならない行動を取る恐れがある人だとも言えますので、更なる洗脳教育を続けるか、早々に教団を去らせる必要があると言う事に成ります。
これ以降は、教団によってやり方が変わるのでしょうが、また自己は会から始める所も有れば、早々に追い出す所もあるでしょう。


とにかく、このように新興宗教は信者候補を信者に仕立て上げていきます。


しかし、信者が自ら出家するようになるのは、これらの洗脳の効果ではなく、別の所に魅力があるのですよ。
上記の洗脳は、あくまで新たな価値観を信者候補に植え付ける為の物で、信者を「熱心な信者」にしていくにはまた別の方法を取らなくてはいけないんですね。