続き④

さて、このもう一歩進んだセミナーという物から、新興宗教の恐ろしさという物が顔を見せ始めます。

特集番組などを見た事ある人ならお分かりでしょう。本格的な「洗脳」の開始という事ですね。
多くの場合、信者候補の人達は、日帰りか何泊かすると言う形で集められ、マイクロバスなどに乗せられ、教団が専用に確保している施設に運ばれる事が多いようです。町中の施設では、逃げられる恐れがありますからね。

人里を離れた場所などは理想的ですね。手口の凝った教団などは夕方に信者候補を集め「夜通し走るのでお眠り下さい」と言って窓のカーテンを閉め、目隠しを渡してどういうルートを通ったか確認させない所まであるようです。


こうなると某北●鮮並みですね(笑)


何故、こうまでして信者候補を逃がすまいとするか?答えは簡単「違法性が高い」事を行うからなんだな。
施設に到着してからは、教団によってスケジュールはマチマチですが、主にやる事は同じで入信させる為の洗脳作業なのですが、代表的な流れはこんな物です。
●常識の破壊
●自己の破壊
●新たな観念の確立
●テスト
ー先ず洗脳の第一歩は、自己の破壊と思っている人が多いようですが、常識の破壊から始まる事が多いんですね。
これはそれまでの人生で信者候補が培ってきた、様々な常識を可能な限り破壊する事で信者候補を可能な限り孤独な状態に追い込む事が目的なんですね。何故なら自己という物は、その構成の殆どを外的要因に頼って確立されているからです。
分かり安く言うなら「貴方が貴方である」と言う事を確認するには第三者の確認が不可欠だという事なんですよ。(分かり安くないか?)
まあ例を挙げるなら、幾ら自分で自分は「シャロン・ストーン」だと言い張った所で「お前は山田花子だ」と世界中の人に言われたら、貴方は「山田花子」になるしかないと言う事ですね。
幾ら鏡に映る自分が「シャロン・ストーン」に見えていたとしても、世界中の人に言われてしまえば「自分自身が可笑しいのか?」と思うしかなくなりますからね。それでも頑固に自分は「本当の私はシャロン・ストーンだ」と心の中で信じ続けた所で、それはシャロン・ストーンだと信じ込んでる山田花子という一人の人間として、生きていくしかなく、絶対にシャロンストーンにはなれまやしません。まあ、そう言う事です(笑

分ったんだか、分りにくいんだかよく分らない例でしたが、こうした常識を崩壊させる為に、先ず具体的な行動として先にも記した通り、外界と遮断します。これは、特定の施設に閉じこめ、テレビ・ラジオなどの情報媒体を取り上げる事で簡単に出来ます。

そして、次に時間を奪います。
雨戸を閉め切るか、元々窓のない部屋に入れられ(電気はついてますけどね)時計その他の物を取り上げられます。「こんな事で何か変わるか?」と思うかもしれませんがこれは非情に自己の確立にとって重要な事なのです。
先ず、外的な日光が遮断される事で、体内時計に狂いが生じます。
元々体内時計は24時間周期ではなく、人は朝日を見る事でそのズレを修正しています。しかし、朝日を見ないとその修正が出来ず、体内時計がドンドンずれていく事になり、精神的に不安定な状況になってしまいます。だから規則正しい生活は重要なんですね(私が言うか?と言う気もしますが・・・・・笑)
しかし、短期間の不規則な生活など皆さんも何度か経験しているでしょう。しかしそんなに不安定になった事は無いと思います。それは身の回りに時計があるからです。

時計を見て「ああ、もうこんな時間か・・・」と思った事は幾らでもあるでしょ?そして「そろそろ飯にするか〜」とか「寝るか〜」とか判断する事も多いと思います。つまりそれで無理矢理修正しているわけですね。
しかし、日光もない、時計も無い空間に放り込まれると、段々眠いのか、お腹が空いているのかも分らなくなると言うか、自信が無くなってきます。そして教団側はそれを更に助長させる為に食事の間隔をわざと不規則にします。多くの場合間隔を通常よりも長くするようです。

信者候補の人々が時間を知る為の手掛かりは食事の間隔だけに成ってきますから、実際には3〜4日過ぎているのに、2〜3日しか過ぎていないような感覚になるわけです。
こうして外界と精神的にも、肉体的にも隔離する事で信者候補はどんどん個人の記憶と、常識観念しか頼る物が無くなってきます。つまり孤独な状態に追い込むわけですね。


そして、自己の破壊が始まります。
これは信者候補1人に対して、2〜4人程度の信者が行います。
何をするかというとですね、簡単に言うと、よってたかって信者候補の人格を否定しまくるんですよ。まあ、虐めみたいな物ですね。
虐めがおもしろ半分に笑いながら行われるのに対して、これは真剣に怒鳴りながら行われます。
「お前は何で生きている」
「お前には生きている価値があるのか?」
「お前は罪で汚されている」
「お前が居なくなっても、世の中何も変わらない」
「つまり価値がないクズだ」
「お前のせいでみんなが迷惑している」
「お前のせいでみんなが苦しんでいる」
「何故黙っている?何を隠している?」
「自分の罪が重すぎて、口を開く事も出来ないか?」
「お前は罪人だ!この世の何処にも行き場所など無いし、受け入れてくれる人も居ない!」
「お前の存在価値はゼロだ!いや、マイナスでしかない!」
等々・・・・こんな事を寄って集ってガナラレまくるわけですね。
正直、かなりキツイですよね・・・・。

通常でも、これらの指摘に胸を張って、自分はそんな事など無い!と言いきれる人は少ないでしょうに・・・・怒鳴り返せばいいじゃん!って思うかもしれませんが、多勢に無勢ですし、常識的な感覚を狂わされているせいで精神的にも不安定になってますから、何時も以上に自分の力を出す事も出来ません。まあ、教団も万が一に備えて、屈強な人を多めに配置しているでしょうけどね。
そしてとにかく謝罪させられます。「ゴメンナサイ、ゴメンナサイ」と何度も何度も永遠と繰り返させられます。勿論その間も攻めは続きます。殆どの人は2〜3時間も続けると涙も鼻水もグジュグジュになってわんわん泣きながら謝り続けるそうです。
最初は、一刻も早くこの苦しみから逃れようと謝っているのが、繰り返す内に本当に自分が悪いような気になってしまうようですね。
信者の方は交代しますが、これをぶっ続けで5〜6時間か、教団によってはそれ以上に続けます。
こうなると、信者候補は判断能力という物を極限まで失います。そして責めている信者達が何でも見透かす神の目を持ったような恐ろしい存在に思えてきます。そしてどんどん自分自身が小さな存在に思えていくそうです。


そして・・・・・


唐突に、この責め苦は終了します。
そしてそれまで恐ろしかった信者が、心の底からの笑顔で自分を労い、謝罪を受け入れ許してくれます。この時の開放感はもの凄いらしく、全ての罪から解放されたような晴れ晴れとした気分になるようです。責めの間は、これまでに体験した事のない苦しみですが、それと同じく開放感も経験した事もない物になるのでしょうね。

しかしその開放感は自己が破壊されてしまった証明ともなるわけです。