続き③

そんな感じで勧誘という物は、身の上相談という形を取り生活の中で不満に感じる事や不安に感じている事に、それらしい理屈を付けた答えを示す事でちょっとだけ入り込みます。
この段階で、こんな勧誘員の話を頭から信じる人は流石にいません。勧誘が終わった瞬間にそんな事など忘れてしまう人も多いでしょう。

しかし、忘れられない人も居るんだよね。
現在苦境にあり、半端な努力ではその状況をどうにか出来ない、そんな追いつめられた状況にあると人は逃げ道を探すものだ。酒や、遊びなどに逃げる事も多いけど、根本的な解決には成らない事は自分が一番よく分ってるしね。
こうなると、益々逃げ道はふさがれていき、更に追いつめられ、自分の努力不足を棚に上げて「何故、自分ばかりこんな苦境に立たなくてはいけないのか?」なんて心理になりがちです。
そんな所に「現在の苦境は、貴方のせいじゃなく、他の原因があるのですよ」なんて甘い言葉をかけられると、普段なら頭から信じないような与太話でも「もしかしてそうなのかも?」と思い始める訳ですよ。
まあ、これは「信じる」と言うより「信じたい」と言う逃避的思考な訳ですから、精神的に追いつめられている人にとっては、至極当然の思考なのかもしれませんね。

そんな訳で、完全に信じ切らない半信半疑な状態でセミナーに訪れてしまう人が出てきます。

初期段階のセミナーでは、これと言って特殊な事はやらない事が多いようです。
まあ、集まっているのが半信半疑の初心者ばかりですから、いきなり奇跡だ!!みたいな物を見せても逆に胡散臭いだけですしね。
セミナーが始まると、小さな規模の宗教ではこの段階でいきなり教祖が出てくる事もありますが、教団の幹部らしき人が取り仕切る中、まあありがちな有り難い(笑)お話で始まります。内容は、何故世の中がこうも悪い事で満ちあふれているのか?その解決方法は何なのか?と言う人々の関心を引きやすい時事ネタが多いようです。
そしてその次に、新人・古参信者の経験談、体験談が始まり、教団の事を褒めちぎります。「私はこんな苦しい状況にありましたが、この教団と教祖様の教えで、こんなに元気になりました」ってなものですね。こうした話が幾人か続くと、今度は教団の教えの趣旨と、信者の生活をPRする映像やスライド、又は教祖が社会的に信用出来る人物だという事を誇張して伝える映像やスライドが上映されます。
そして締めくくりに、いきなり入信しろ等とは接待に言いません。
その代わりに、体験入信みたいなもう一歩踏み込んだセミナーがある事をさらりと言います。本の軽い気持ちで参加出来る、お金も掛からない非情に簡単な物で、色んな人が参加している楽しい物だとアピールします。でも、本当にさらりとね。
これでセミナーは終了します。
大したこと無いでしょ?地獄に堕ちるとか脅される訳でもありませんし、変な手品で奇跡も見せられません(笑)

それにしても、この一連の流れはTVショッピングに非情に似て居ると思いません?(笑)

まあ、それはともかくセミナーも終わり帰ろうとしていると、此処で初めて罠が待ちかまえて居るんですね。
参加者の中にサクラが居る場合や、最初に勧誘した下っ端信者の場合もありますが、セミナーの感想を聞かれます。此処でいきなり「嘘くせ〜」という人はあんまり居ないでしょ?信じかけていても、疑っていても、とりあえず「面白かったです」的なコメントをしますよね?
そうすると「そうでしょ?」ってなモンで会話が始まってしまいます。つまり軽く拘束する訳ですね。そして次のセミナーにも参加しませんか?と誘われるわけです。
この時にはあまりしつこく勧誘をせず、あくまで苦しみから解放されるにはこの教団が一番だと褒めちぎるようです。そして貴方は素晴らしく聡明で、心の優しい、本当に良い人だと対象になる人も褒めちぎります。とにかく良い気分で、教団の事を悪く思われないように苦心するようですね。

又は、更に信者候補の悩みを聞いてあげる場合もあるようです。

こうして2〜3度セミナーを繰り返し、これに通う人を見極めます。
つまりこの初期段階のセミナーは、本当の勧誘じゃなく信者候補の填り具合を見極める段階だという事なんだな。
問題を抱えていても、他に相談する人の居ない孤独な人だという事の証明になりますからね。


こういう人が「カモ」な訳です。


そして、こういう人を適当にピックアップすると、今度はセミナーで説明したもう一段階進んだセミナーに勧誘を始めるわけです。