続き

普通じゃないと言っても、変な意味じゃなく、壁にぶち当たった状態にあると言う事。
誰でも一度や二度、人生の壁という物にぶつかった事があるよね。
大体の場合、第三者から見れば大した事じゃないんだけど(笑)でも本人にとっては大問題。こういう時って、焦っても仕方がないのだけど、焦りますよね(笑
後、思春期や社会に出たばかりの一時期など、世の中と自分自身をどうやって折り合いを付けていくか、上手く間合いを取れずに焦ってしまう時とかね。
精神病まで行かなくても、一寸心のバランスを崩してしまう時期って誰にでも有るものです。

そうした一瞬に新興宗教と出会うと、人は流される確率が跳ね上がるのですよ。
精神的な部分が不安定な状態だと、人は世の中を肯定的に見れなくなる物です。まあ、当然と言えば当然ですよね。
壁にぶち当たるという事は=それまで自分が信じてきたやり方では通用しない事態という事で、常識と信じた物が揺らいでいる訳ですから・・・・・


そうした時に、通常の思考ではバカバカしくてお話にならないような理屈の新興宗教の教義が、全く新しい視点から世の中の仕組みを解明した教えに思えてしまう事がある訳なんですよ。


「そんな簡単な物か?」って思う人もいるかもしれませんが、先にも書いたように実際問題「世の中一寸先は闇」というのは間違い事実で、我々は「ケセラセラの精神」で見えもしないレールが有ると信じて生活している訳ですから、非情に危うい状態の中生きている訳です。
だから、精神的な部分が揺らぐと、人は想像以上に不安定な状況に陥り、簡単に追いつめられてしまう物なんですよ。
そうした時に、明確なレールを示して、これこそが真実の路なのだと自信たっぷりに教えられると「あれれ?もしかして本当にそうなのかな?」って思ってしまう物なんですよね。

此処で、新興宗教が上手いのは、その原因が本人にあるような言い回しで「実は別の所に本当の原因があり、貴方も被害者の一人なのだ」という訳です。つまり、どんなに苦しくても本人がどうにかするしかない問題の責任を他の物にすり替え、逃げ道を作ってやる訳です。
そうすると、人はただでさへ本質的に怠け者なのに、精神的にまいっている状態にある訳ですから、安易に用意されたその逃げ道に縋り付いてしまう訳です。

例えば、此処に一人の浮気男が居るとしますね。
この男、妻子も居るというのに、毎夜の様に浮気を繰り返し、家庭を蔑ろにしている訳なのですが、本人はいたって呑気で浮気が発覚した時の事など微塵も考えていません。
しかし、ある日とうとう奥さんに浮気がバレてしまい、激怒した奥さんは実家に子供を連れて帰ってしまい、離婚届が送られてきてしまい、更に多額の慰謝料まで取られる事になってしまいました。
此処に至って、初めて自分のしでかした事の重大さに気が付く訳ですが、もう後の祭りですね。

更に追い打ちが掛かります。
浮気発覚で落ち込んでいるせいか、仕事の成績が下がり、長年業績があまり良くなかった会社がリストラ候補に彼を入れたと言う噂が社内に流れたとします。
奥さんには見捨てられ、子供にも会えず、多額の慰謝料と養育費は払い続けなければならない時に仕事まで失う可能性が出てきた訳ですから、彼の精神面はボロボロですよね。

100%自業自得な訳ですが、こうした時人は後悔し、反省もしますが、それと同時に「何で俺ばっかりこんな目に遭うんだ?」という被害妄想とも言うべき怒りにも捕らわれる物です。
自分でも自業自得だと分っているのですが「俺ぐらいの悪人や、もっと悪い奴は星の数程居るだろうに、何で俺だけが?」ってな物でグログロとした考えに縛られてしまいがちです。
これを読んでいる人の中にも、こんなバカバカしい事件じゃなくても、似た様な逆境に遭い、似た様な思考に捕らわれた人も居るのではないでしょうか?

まあ、殆どの場合こうした暗い思考からは自力で抜け出す為に、開き直ってみたり、酒飲んで憂さを晴したり、奥さんを説得して元に鞘に収まろうとしたり、様々な手段で立ち直ろうとする訳なんだけど此処に偶然、新興宗教の勧誘にあったとしますね。
そこで、こんな事を言われる訳です。
「確かに、貴方の現状は貴方自身に原因があります。貴方の裏切りで多くの人が傷付いた訳ですから反省しなくてはいけませんよ。でも、冷静に考えてみて下さい、何で貴方は愛し合って結婚し、子供まで儲けた幸せな家庭があるのに、浮気なんてしたのでしょう?」
「バレずに続けられる可能性もあったのでしょうが、これだけ世の中で浮気が原因の離婚問題が叫ばれているのに自分だけはバレないと信じていたのでしょう?」
「可笑しいと思いませんか?」
「冷静に考えて下さい、もしバレたらこうなる事は貴方にも分っていた事ですよね?」
「でも続けてしまった・・・・・これは何故なのでしょう?」
「明らかに可笑しいとは思いませんか?」
「貴方も、こんな事を続けてはいけない!もう止めなければ!!と思った事は何度か有ったでしょ?」
「でも止める事が出来なかった・・・・」
「○○商事に勤められている程の頭の良い貴方が、何故こんな愚かな行動をしてしまったのでしょうか?」

こんな感じで、疑問を次々に意味有りげにぶつけていく訳です。こうすると、本人にとっては恐ろしく深刻な問題な訳ですから、当然深刻に考えますよね?
心理学の専門家でもなければ、自分の取った行動の裏にある意味なんて、そうそう分るはずもないですし、そもそもそんな事を考えて行動している人なんて居ない訳ですよ。
だから、思考の袋小路に填ってしまいます。

そこに明確な答えを出す訳です。

「貴方が、こんな愚かしい行動に出てしまったのは、貴方の前世が影響しているのですよ」

魔邪じゃないですが、正常な状況なら「はあ!?」ってなオチですよ。呆れるか抱腹絶倒ですよね。
まあ、この男もこのオチをいきなり鵜呑みにする事は無いかもしれません。しかし・・・・・・・・・
「貴方の様に、自分自身の為に明らかに害になる様な行動を取る人って、実は沢山いるんですよ」
「タバコや、お酒もそうでしょ?」「どう考えてもそれは体に悪いよ、って端から見れば思うような事を進んでする人が居るじゃないですか」


こういう風に聞かれたら、前世はともかく認めますよね?


「一般的には自分には、馬鹿だからとか、だらしがないからだ、とかって言われていますけど、その割りにはそれ以外では凄く有能な人も大勢居るじゃないですか?」
「本当に世の中で思われている通り、だらしがない馬鹿な人なら、そんな有能な仕事など出来るはずもないでしょ?」
「これは前世の悪行が、ガルマを生み出し、それが貴方の中にも引き継がれているせいなんですよ」
「カルマは浄化しない限り、貴方の深層心理に影響を及ぼし続けるのです」
「ですから、此処でカルマを浄化しないと、貴方はこれからもドンドン愚かな選択をしてしまい、残りの人生も不幸ばかりが訪れるのです」
「そして愚かな選択をして、不幸になった貴方は更にカルマを蓄積させて、来世にそれを持って行ってしまうのです」「その結果はお分かりですよね?」


まあ、こんな内容の話を時間をかけて、トクトクと説明する訳です。
こんなホラ話を信じる物かな?って思う人も居るでしょうが、同じような悩みを持つ人が100人居ればどうでしょう?中には「信じた訳じゃないけど、もしかしてもしかすると、そう言う事もあるのかもな?」なんて思う人が居ても可笑しくないでしょ?

そして、そんな人に止めを刺すのが
「このカルマに苦しめられている人は、貴方だけじゃないんですよ」
「本当に大勢の人が苦しんでいるのです」
「そして救われているのですよ」
「貴方もまだ完全に信じられないでしょうけど、一度セミナーに来てみて下さい
「そして貴方の目で見て下さい」
「貴方のように苦しめられている人がどれぐらい居るのかを そして救われた人がどれぐらい居るのかを」
「無理矢理信じなくても、来てみるだけなら問題ないでしょ?」
「私の話は嘘かもしれないけど、もし本当だったらどうします?」
「貴方の人生、こんな事の繰り返しが待っているだけですよ」
良いのですか?」
セミナーに来て、教祖様の話を聞いて、信者の方や、周りの人達と話をするだけなら、何の問題もないでしょ?」
「貴方の苦しみを、世の中の人達は救ってくれますか? くれませんよね?」
「でも私達なら、確実に貴方をお救いします!」
「強制はしませんよ。貴方の自由意志を尊重します、いかがわしい新興宗教だと、此処で強引に勧誘したりする物なんでしょうけど、私達の教団は、そんな強制は一切しませんから」
「貴方の人生は、貴方の物です。そして来世もね・・・・」

って殺し文句が入る訳です。 
セミナーは大体無料だし、まあ行ってみるだけ行ってみるか?なんて思う人が10人もいれば、万々歳です。別に此処で完全に洗脳する必要はないんですしね。あくまで私達教団は貴方に対してとても真摯に心配してるんですよ。と言う態度を見せればいい訳です。


心の隙を突くというのはこういうやり方なんですよ。


ーーー明日に続くーーー