テロに関する考察その7

だからハマス等のパレスチナ原理主義組織は占領者イスラエルとの戦いを聖戦としている。
圧倒的な火力のイスラエルが行う「国家テロ」に対する自己防衛となる訳だな。昨今流行の自爆テロもこうした国家的規模の攻撃に対する攻撃からイスラムの文化を守る行動として、「殉教者」となり、天国に行けるだけでなくて「勝利者」としてその中でも最高の場所に行けると信じられている訳だ。
まあ、太平洋戦争末期の日本を考えれば、信じやすく熱い信念に突き動かされやすい若者の多くがそう言う行動に走るのも理解出来るし、キチガイ扱い出来ないだろうけどね。
しかし、宗教的にいくら最高の待遇で天国に行けると言われても、本当にそれを信じている人は少ないだろうなとも思う。本音を言えば、こんな方法を行ってまでも相手を殺したいと思うほど憎しみが強かったり、女性の自爆テロの場合は恋人を殺されてという場合もあるけど、夫を失い再婚が難しいイスラム社会(特に原理主義社会では)で、仕事にも就けず残された子供に少しでも裕福な暮らしをさせてあげる為という理由もある様だ。
自爆テロを行った、殉教者の家族は一族や組織にとても大切にされるかららしい。だから、宗教的な「勝利者」という称号は、死に対する恐怖を自分に納得させる働きが大きいのだと思うな。だから「狂信者集団」という評価は正しいと思えない。
しかし、死という物に直面した時、人間という物は宗教に心の安らぎを求める事は過去の歴史を見てもその事例が多いし、その効果が大きいのも実証済みだ。その宗教が聖なる戦いという物を認め、相手を殺すという罪や、自分の死に対しても責任を持ってくれるというのは、戦う者に対して大きな精神的な安心を与える事になり、指導者も誰に後ろめたい思いもせずに自分達の正義を説く事が出来る訳だ。
これは、テログループを作る時に非常に有利に働く。
しかし、その戦いが本当に正当防衛なのかが大きな問題なのだけどね・・・・・・・。

過激なテロが続く背景には貧困や腐敗などの社会問題が存在するとの指摘もあるが、確かにそれも大きな要因の一つだと思う。ある程度貧しかろうが、身の回りにいる人とそれ程貧富の差が無く、飢える事がなければ人という物はそう簡単にはテロに走る物じゃないからね。
テロに走る者の多くは、それがどんな外国勢力であろうと信用出来ない状態にあると言う事だ。
どんな正当な人道的な名目で訪れるのだとしても、軍隊でなく商売に来てるだけだろうと、彼等には侵略を目論む外敵にしか写らないんじゃないかと言う事だ。

カイロの原理主義組織関係者は「公正な選挙がなく人権も守られない国で、変革手段としてテロ以外に何があるか。それはイスラム世界に限ったことではない」と言っているそうだけど、今回のチェチェンがらみのテロもそうだ、彼等はロシア人による長年の迫害を受け続けてきた。今回解説しないけど、ちょっと調べてみるだけでも信じられないぐらいの差別と圧政を受け続けてきている事が分かる。
世界中で暗躍するテロ組織の背景には必ずアメリカ・ソ連を初めとする大国の影響が見え隠れする。
それらの大国のエゴに振り回され、利用され、蹂躙され、人としての尊厳も民族としての文化も、全てを否定され屈辱にまみれ続けてきた人々、しかも通常の手段ではそれらの大国の力に握りつぶされ、誰の助けも受けられない。それに、恵まれた環境にない彼等の多くはちゃんとした教育など受けられる筈もないから、世界に訴えかける方法も知らない。
そんな彼等が体制に反抗するには、世界中にメッセージを伝えるには、こうした手段しかないと言う事なのじゃないのだろうか。
そうした時、テロは本当に非道な手段と言えるのか?


だから私は、一番最初にも書いたけどさ、テロを全面否定する気にはどうしてもなれない。


ガンジーの様に無抵抗の改革という方法がある」と言う人もいるけど、親、兄弟、友人、村、町、国、文化を蹂躙され続けてきた人にそうした理論をぶつけるのは平和を享受している人の奢りだろうと思う。
確かに理想を放棄する事、新たな手段を考える事を放棄する事は、重大な誤りだとも思うし、そうした被害に遭っている人々の中からそう言う人が出る事事態は歓迎こそすれ、避難する事なんか無いけどね・・・・・やはりそう言う人は希にしか出てこないし「そう言う人が出るまで抵抗するのを待ち、蹂躙され続けろ」とも「そう言う手段を取れ!」とも言えない訳だよ。
二十一世紀は人種・民族と並び、宗教が地域紛争の火種となっていくのは間違いないだろう。


しかし! しかしだ罪の無い人々が犠牲になったアメリカの同時テロの場合は自己防衛ではなく、「重罪だ」(ワセル師)というのが穏健派法学者の一致した見方がある様に、今の無差別テロという方法を認める事も出来ない。
だから私は無差別テロを指揮する、テログループの指導者達を認める気にもなれないし、許す気になど絶対になれない。
先にも書いたけど実行犯の多くは、ろくな教育を受ける事も出来ない人々が多い。しかしそれを指揮している指導者は、多くの場合「理想的な教育」を受けている場合が多いんだよ。
それどころか裕福な家庭に育っている事が多い。そんな彼等が、正義や理想に情熱を燃やしてテロに走る訳だ。そうしてテログループを組織してその指導者になっていく。
しかし断言しても良いけど、そんな無差別テロを指揮する様な輩が、もし理想を成就して権力を奪取する事が出来たとしても、その後にそんな輩が行うのは恐怖政治だけだ。平和な理想郷が実現する事は100%無い。

そもそも、目的の為に敵側の市民と言っても無差別に殺すとか、敵の兵士を殺す為なら自国の民間人が巻き込まれる事にも躊躇いを感じないと言う輩が政権を取った後、敵の陣営に属していた人々を「まあ生きる為だったんだからしょうがないよね」と言って無罪にする事などあり得るのかという事さ。
政治と言う物はどんな善政を敷いたところで100%全員が満足する事などあり得ない。必ず反発を生んでしまうが、そうした者が出た時に笑顔で対処するなどと言う事があり得るのか?
その答えは、先に書いたタリバン政権だけでなく、歴史を振り返ってみても世界中で答えが出てる事だ。しかも最初は純粋な正義の情熱に燃えていた彼等も、組織を拡大していく中で権力の持つ魔力にその情熱を歪めていく者が多いんだよ。悲しい事だけどさ・・・・。

そうなってしまうと組織の維持、拡大に意識的にだろうが無意識かだろうが情熱を燃やす様になっていってしまう。(これは彼等だけでなく、どんな世界の誰にでも言える事だけどね)そうなったら権力の虜になり、権力を掴む事が出来なければ「闘争を拡大する事でしか」権力を維持し続ける事が出来なくなってしまうんだな。
そうなると彼等が最も恐れる事態は「安定した社会」になってくる。
「権力が取れないなら、より長い混乱を!」と言う事だあね。勿論テロリストのリーダー達全員がそうだとは言わないけど、そうだとしか思えない輩が多いのも事実だ。現在のイラクにおける、特に人質事件にその傾向が強く見られる。
最近の事件の中で言うなら、フランス人記者の拉致や、ネパール人12人の惨殺等どう考えても世界中に宣戦を布告しているとしか思えず、仮に政権を取ったとしても、その後に世界中から制裁措置を受ける事は間違いない。
こんな簡単な理屈を指導者達インテリ層が理解出来ていない訳が無く、下っ端連中の外国人に対する不信感を利用して混乱の長期化を狙っているとしか考えられない。


そんな彼等の活動には最早「どんな正義」も存在等していないと私は断言するよ。


それにアメリカのやり方に問題が多いのは事実としても、その後も駐留基地を作られるにしても、政治や宗教、文化に干渉してくる確率がどんな物かは、アメリカ統治下にあったドイツなどを見れば理解出来る話だし、一時的な屈辱もそう遠くない未来には取り戻せるのも理解出来ているはずだ。
アメリカの統治を受け入れ、傀儡政権だろうが何だろうがとりあえず作り、国内の安定を急ぎ、その安定の中で原理主義を行っていっても何の問題もないと言う事も理解出来ているはずだ。
妥協を堕落として捉える奴も居るだろうが「民無くしての信念も、国家も宗教もない」そんな簡単な理屈も理解出来ない頭の固い馬鹿が指導者の地位につく価値があるかどうかは言うまでもないやね。
勿論、その運動をアメリカが許さない可能性も0とは言わないけど、それを許さないのであればサウジアラビアの政権などとうの昔にアメリカに崩壊させられているはずだしね。
彼等の掲げる原理主義がそれを許さないと言うのは、テロリストとしての権力を保持しようとしていると考えるしか理屈に合わない。その最たる例がムクタダ・サドル師だろう。
あれだけ武装勢力を促し、アリ廟立て籠もり等様々な抵抗を指導して「アメリカ兵を全滅させるか、撤兵するまで我々は一歩も引き下がらないし、全滅してでも抵抗を続ける」と喚いていたにも関わらず、暫定政権が「今、兵を納めれば罪に問う事もないし、国民議会選挙に立候補する権利も与える」と譲歩した途端に、「私達はマフディ軍団のすべてのメンバーに、自衛以外の戦闘を停止するよう求めている」と話し、「平和的な戦いに転換しつつある」とか言う始末だ・・・。
しかも「側近は、サドル師が自ら国民議会選挙に立候補する可能性は否定したものの、別の人物を指名したうえで支援するとの方針を明らかにした」な〜んて言ってるそうだが、もう見え見えの態度としか言いようがないでしょ?
正しく正体見たりと言った典型的な例だやね。

人間という物は、人殺しという罪に対して「心のタガ」を外してしまうと歯止めが効かなくなる。

(これは人殺しは一度やってしまうと止まらなくなると言う意味じゃなくて、人殺しという行為を自分に都合の良い理論で正当化するなどの行為で、その罪を見なくなると言う事だから勘違いしない様にね)

しかし、個人の活動ですら、避けようとしても殺人を手段として行わなければならない瞬間という物は存在する。ましてや、政治などという物になっては、どうやっても犠牲が出てしまう時は出てしまう。しかしそれを罪として背負い込み、次の教訓として生かし、次にそう言う事態になったら少しでもその犠牲を小さな物にする事が出来る様な人物でもない限り、革命家たる資格なんて物はないと私は思う。
そうした時に、出来るだけ人命を犠牲にしないテロ手段として残るのが、経済・産業テロだと言う事だ。
先にも書いた様に、この手段はアピール性に掛けると言う事で使われなくなった手段だけど、現在はこの手段が放棄された時代と違い、マスコミの能力が比較にならないほど発達し、特にネットの世界には最早国境という物が無くなりつつある訳だ。
先のロシアでの事件でも、まだまだ国からの圧力が強い影響力を持っているテレビ、ラジオ、新聞などのメディアは真相を隠そうとした様だが、ネットですぐに真相が流れ、多くのロシア人が真相を知る事となりネットが出来ない人も、人伝で一端でも事件の真相を知る事となった訳だ。
その結果そうした国の姿勢に対して抗議までしている。
優秀な翻訳ソフトが無料で流通し、それが全世界バージョンになろう物なら、全世界に対してメッセージを配信、情報交換する事も非常に容易になるだろうしね。

こうした中で、効果的なテロ、人命を極力犠牲にしないで済むテロという方法も必ずあると私は思う訳だ。
20世紀が「科学の発展と戦争の世紀」と呼ばれた様に、今世紀はこのまま行けば「民族独立とテロの世紀」と呼ばれる事になると思う。
しかしテロという手段は必ずしも悪しき方法ではないし、それしか訴える手段がない人々はこれからも存在し続ける。
そうした人々がどういったテロを行うのか?これらを誘導出来るのはその組織の指導者達なんだけど、我々もそれに対して影響を与える方法はあるはずだ。
無差別テロは事態を混乱させるだけで、早期解決の手段には最早なり得ないと言うメッセージを世界中の人々が独自に発信していけば、大河も源流を辿れば小さな湧き水に過ぎない様に、大きな流れとなって世界のテロを変える事は必ず出来る!
「そんな事は出来る訳がない」「やっても意味がない、効果がないよ」と言う事は簡単な事だ。しかしそうした諦めが無差別テロを助長させるだけだと信じて、運動していくべきじゃないか?
さらに理想を言うなら、テロという破壊活動を行わないでも少数意見を世界に発信していける方法を構築することだ。そしてそれらの訴えを真剣に討議出来る体制を作っていく事だと思う。
まあ、これがどの辺まで実現出来るかは分からないにしても、テロの手段を変える程度の事ならそんなに何十年も掛る運動でなくても出来る。

この考えに賛同してくれて、それぞれのサイトや周りの人に伝えてくれる事を私は願うばかりだけどね。

最後に、テロという物はいったい何なのか、それを少しでも多くの人に少しでも正しく知って貰うのと、私自身も、今一度文章にする事で知識や認識を纏め直そうと言う事で書いてみた。
読みにくいところや、話が前後している所もあるかもしれないけど最後まで読んでくれた人には感謝!
そして、テロという行為に対しての理解度が少しでも変わってくれたら最高!と言う所でしょうか。

後、今回の考察の為に、様々な文献、サイトを参考にさせて貰ったり、文章を引用させていただきました。
無許可なので万が一問題がありましたら、掲示板かメールででも「ごらぁ」と言って来て下さいませ。

では、繰り返しになるけど、本当に最後まで付き合ってくれて感謝!