ところが80年代以降、イスラム原理主義の流れが再び強大な力を持って復活してくるんだけど、その原因はこれらの革命や改革が破綻した事によるだな。

エジプト政権は、政治的には右旋回して、米国のいうなり状態・・・・その結果後押ししていたパレスチナ解放運動との連帯は当然放棄する事になり、それどころかイスラエルとの和睦に向かってしまった。
シリア政府、イラクフセインは腐敗した独裁政権になってしまうし、アルジェリアや、リビアは無謀としか言いようがない重工業化政策が破綻して経済的に逼迫してしまうわで中東各国が冷戦下でボロボロになっていってしまった。(リビアはご存じの通り、一応乗り切りましたが)
イスラム原理主義は、そうした流れの中で一度は忘れ去られていったのが、新しい「解放者」達の政策破綻により再び復活してきたと訳だ。
「今度こそと期待していたのに、今度も騙された!!」「じゃあ我々に残された方法はなんだ!!?」「昔上手くいっていた方法、つまりコーランの教えに忠実に従っていたあの時代の方法をもう一度取るしかないのではないか??」と言う事さね。
というか、殆どの国民にとっては、この追い詰められた状態で、残されたのは昔ながらの宗教ぐらいしかなかったと言う事。

こうした中で、原理主義者の運動が1979年にイランで革命を起こし、81年にイスラムシーア派の聖職者による統治体制が誕生すると、イスラーム原理主義の波紋は中東諸国に大きく広がっていった。
ソ連の撤退以降アフガニスタンでは、スンニ派イスラーム原理主義勢力が支配してたんだけど、バラバラになり内戦状態となる。
その中でソ連侵攻中に力を(アメリカの強力な後押しで)付け、内戦時に全土をほぼ掌握していた、あの有名なタリバンは「イスラム教の学校の生徒(神学生)」と言う意味のグループで、これも原理主義者から派生した集団だ。(タリバンについてはもう少し詳しく後で記す)
トルコは、イスラム原理主義政党が議会の多数を占め、一時は内閣を掌握するまでになった事もあった。(今は違うけど)
スーダンでは中東諸国じゃなくアフリカ諸国になるんだけど、政権を握った軍の指導者が、かなり問題のあるイスラム聖職者に導かれ、イスラム原理主義政権へと変貌した。今では民族浄化なんて、とんでも無い事をやっている。(80%以上が黒人という社会で、黒人の殆どを駆逐したらどうなるのか・・・・もうピーとしか言いようがない政策だけど・・・)イスラム原理主義が政権を取って、その結果最悪な状態になった国の一つだ。
逆にアルジェリアもアフリカ諸国の一つですが、ここではイスラーム救国戦線が平和的に選挙で政権を取ったのですが、原理主義政権の樹立を恐れるフランスと軍部がクーデターを起こし、原理主義者を徹底弾圧、大量虐殺が行われた。
この一件だけ見ても、フランスが今回のイラク戦争を避難したのが人道的な物だけじゃないのが良〜〜〜く分かるってもんだ。

まあ、こんな感じで長い年月と、様々な事件の中でイスラム原理主義(正しくはイスラム復興運動)は培われてきた物であって、それぞれの国でそれぞれの進化を遂げて行っている物だ。一言で「主義」として表すには、かなり大雑把な物だという事が分かるでしょう?
マスコミなんかでは十把一絡げに言ってるどころか、違いをそもそも分かってないんじゃ?と思える発言も多いぐらいだ。リビアカダフィ政権やイラクフセイン政権とイスラム原理主義も、前者は世俗主義、後者は宗教主義と言う違いがある。それ所か対立までしてるんだからね両者は・・・。

中でもタリバンが掲げる原理主義は、コーランの教えと現地のパシュトゥーン人の風俗習慣とを混淆させた独自の宗教観に基づく物で、他の原理主義とは明らかに一線を画す存在なんだな。だからこそアメリカがアフガニスタンを攻撃しても他の原理主義国から大きな避難が上がらなかったと言う事。(義勇兵は大勢行ったけどね)それ所か、イランの原理主義政権とは水と油の関係にあるぐらいだ。
こういった違いも分からずに「原理主義テロリズム」と捉えると大きな間違いを生むだけで、危険な事だと言える事が分かるだろうと思う。


んで、タリバンの事についてなんだけど、そもそもは1979年12月ソ連アフガニスタンに侵攻して、軍事的に制圧。その後「カルマル政権」を樹立させたところから始まる。
アメリカは先にも書いたけど、ソ連の侵略と闘うイスラム戦士たちに対して莫大な武器援助をしていて、彼らをゲリラ戦のスペシャリストとして育て上げていたんだな。
ところが85年以降米ソ冷戦が終結し、ソ連アフガニスタンを撤退すると、アメリカもアフガニスタンから手を引き、残ったのは様々な勢力が覇権を争うイスラム原理主義集団や軍閥と言う事になってしまった。
彼らは一応、統一政権を打ち立てたりもするんだけど・・・・・手元には大量の武器があり、それぞれが目の前にぶら下がる最高権力者の椅子。と言う状態で平和が長続きする訳もなく、泥沼の戦いを繰り返すことになった訳だ。


イラクからアメリカを初めとする軍隊を引き揚げるべきだという人は大勢居るけど、イラクもこうなる可能性はむちゃくちゃ高いと思うぞ・・・・私は・・・・)


そこに登場したのが、パキスタン疎開していた人が中心となって構成されたパシュトゥーン人主体の勢力、タリバンだ。
パキスタンアメリカの友好国で、当然タリバンは米国と強いパイプを持っていた。そんなタリバンパキスタン国境からアフガニスタンに浸透すると、次々にそれまでの勢力を倒すか吸収していき、首都カブールも手中に収めた。(難民だった彼等が、ここまで急速に勢力を伸ばせた事実を考えるだけでもアメリカがどれぐらい後押ししていたかが分かる)
傀儡政権のトップにいたナジブッラーを公開処刑し、町のまん中に彼の死体を高々と掲げる等して、その人気を高めていったんだけど・・・・・それ以降の政策は途方もない物で、

○全ての女性を解雇して家に閉じこめ、外出の際には顔も含めて全身を覆わなければならない。
○旧政権軍の側だったウズベク人やハザラ人は、片っ端から皆殺し。
○自分達の原理主義以外の宗教を全否定(これでイランとも険悪に)
イスラム文化以外の文化遺産の破壊(バーミヤン遺跡は知っての通り、それ以外の物も)
○書物の焼き討ち(ナチスかつーの!何でみんな同じ事するかね・・・)
○反対意見を持つ者、その疑いのある者の処刑。
○密告制度の制定

ここまで来るとイスラム原理主義というか、単なる典型的な駄目独裁政権
そして、タリバンはアル・カエダを庇護していたんだけど、その指導者が今では世界中で有名なラディンだ。この男はサウジアラビア出身の金持ちの子息でタリバンを構成するパシュトゥーン人とは縁もゆかりも無いんだけど、ソ連に対抗する義勇兵(ムジャ・ヒディン)としてその名を轟かした訳だ。だからこそ、タリバンもアル・カエダを庇護していた訳だ。
しかしそんなタリバンを、援助するだけしておいて、用が済んだら放置したアメリカの責任は重大で、9.11も因果応報だという意見があるのもこの為なんだな。


じゃあ、ラディンやタリバンはそんなアメリカと敵対したのか?
ラディンは、アフガンからソ連が撤退した後、故郷のサウジアラビアアフガニー(アフガニスタン帰還兵に対しての敬称)として帰ったんだけど、その1年後事件が起こる。
それが湾岸戦争だ。 この時アメリカ軍は拠点としてサウジアラビアに駐留したんだけど、イスラム教徒にとって二大聖地がある神聖なサウジアラビアに、異教徒の軍隊が侵入したと言う事実は、ラディンにとってショックだったようだ。
しかも、その駐留したのが前々から聖地エルサレムを占領しているイスラエルのバックについているアメリカ軍だったのが決定的な事だった様で(まあ、これに関してはラディン以外のイスラム教徒からも非難囂々だったんだけどね)ムジャ・ヒディン(聖戦士)になるような「イスラム正義」に熱いラディンにとって、このアメリカの行動は許せるはずもない行動だったという訳だ。
こうして、ラディンはアメリカに対しテロによる人生第二の聖戦を始める事を誓った訳だ。しかもそれを出来るだけの財力も、コネクションも、ムジャ・ヒディン時代に出来たイスラム内での人脈があり、これを活用してさらなる資金集めや、元ムジャ・ヒディンの兵隊達も呼びよせ、アル・カエダを作りテログループとして活動していくことになる訳なんだけど。
サウジアラビア親米派の国・・・・そこで国から追い出される事になり、アル・カエダと共に恩義のあったアフガニスタンに逃れる事になる。アフガンを掌握していたタリバンも、資金的にもムジャヒディンとしての恩義もある、アル・カエダを受け入れたという訳だ。


その後の顛末は知っての通り。


アル・カエダ、アフガニスタン一つを非常に簡単に取り上げても、これだけの複雑な関係が存在している。当然世界中のテロ組織にも、これと同じか、それ以上の背後関係、歴史、因縁と言う物が存在する訳だ。
前々からテログループはそれぞれ手を組みと簡単に書いてきたけど、もちろん手を組めない組織という物も存在するし、それどころか何処とも共闘しない組織という物も存在する。
しかし共闘しない組織どうしも、第三の組織を介する事で繋がっていたりもするので油断ならない。
もちろんフリーのテロリストは相変わらず、これらの組織を渡り歩いている。

中東の情勢、歴史の考察が長くなってしまったので、もう忘れてし待ているかもしれないけど、そもそも何でこうした原理主義者の中から過激なテログループが多く出てくるか、この話に戻ろう。
本当に長くなってしまっているけど、これらの事を理解して貰わないと、単にアラブ人が好戦的だからと思われかねないからだと理解して貰いたい。

まず、過激なイスラム原理主義者達が良く口にするジハードという物があるんだけど、この考え方が過激なイスラム原理主義者を生み出してる原因と言っても良い。
世界中の宗教が争いを厳しく諫めている中で、イスラム教はただ一つだけ例外の争いを設けている。
それがジハードなんだけど、これは「聖戦」と言う意味の言葉で、エジプトの最高位法学者(ムフティー)であるナセル・ワセル師は「聖戦は自らに降りかかってきた攻撃を止めるための自己防衛の手段だ」と説いている様に「イスラム教徒達の生活を破壊する者に対する戦い」は宗教的に聖戦として認めると言う事だ。

これがコーランの原版に最初からあった物なのか、教義の中で争いを禁じているのに戦争をしなくてはいけない事は当然発生するから、その矛盾を正当化させる為にその時代の権力者達が書き加えさせた物かは不明だけど、この聖戦をその時代時代の権力者が利用してきたのは間違いない。


もちろんテロリストもだ。



ーその7に続くー