疑惑の判定。

オリンピックの度に、こういう事が語られる。
今回男子レスリングで、出てしまった。選手は会見で「審判が絶対ですから、仕方がありません」とかって言ってるんだけど、こう言うのを聞くと毎回思う。
「審判」って何者??そもそもスポーツは言うまでもなくその始まりの多くは遊びから。職場でのほんの暇つぶしから、仕事の技術向上を目指しての練習自体をゲーム感覚にしたとかそんなのが多い。だから、その判定も選手の自己申告か、ギャラリーだった訳だよ。
しかしこの遊びが意外に流行ったりして、多くの人が協議するようになると、誰が一番上手いか?と言う事になる。そうなると名誉が掛ってくるし、賞金など出るようになると、その判定は当然もめる事も多くなってくる。
そこで登場して来たのが「審判」だ。
その登場から現在に至るまで、その仕事はただ一つ。「試合を公正に進め、結果を正確に判定する」これ以上でも以下でもない。
しかし人間である以上、当然その判定には誤りも出てくる。しかし他に適当な判定装置も無い以上、人数を増やし様々な角度から見るなどの工夫をしてきた訳だけど、それでも判定ミスは出てしまう。その結果当然揉めるわけだけど、そんな一瞬の事をそれぞれの立場で議論しても纏まるわけもなく、その結果生まれたのが「審判が絶対」と言うルールな訳だ。

しかし今はテレビカメラという物が存在する。これは審判の目よりも正確に事実を忠実に捉える事が出来る。これを利用しようとすると何故か反対意見が続出するんだよね。
今回のレスリングはそれでも映像判定を入れてはいるんだけど、カメラの数が少なすぎ!!どうも軽くしか扱っていない。
何もコンピューターで判断しろと言うわけでもなく、映像を見て判断するのも人間なんだから、もっとカメラの数を増やせば簡単に解決する話なのに、それをやろうとしない。何なんだろうね、この下らない「プライド」は・・・・。
「厳しい試験を突破して、誇りを持って判定する審判が信用出来ないのですか?」な〜んて言う輩もいるが、そもそも先にも書いたように審判の役目は明確!「試合を公正に進め、結果を正確に判定する」それだけなんだから、そのためにどんな技術を使うのも、審判の権威を下げる物じゃない。
審判の権威という物は正確な判定にこそ有るのであって、謝った判定をゴリ押しする事にある訳じゃない!そこを勘違いしてるとしか言いようがないね!
審判制度を無くせとは言わない、試合をスムーズに進めるという役目も大きな仕事だし、誰も文句を言わない、と言うか気付きもしないような誤判定なら問題無いかもしれないが、クレームが付くような判定をしてしまった時には映像判定を素直に取り入れるべきだと思う。
それでこそ公正な判断、スポーツマンシップという物でしょう!