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この前の続きで、オリジナルの世界について・・・

十二国記とフォーチュンクエストという途方もなくかけ離れた世界観を、取り上げたんだけど、十二国記が素晴らしいのはあの小説を読んだ人なら、誰でも実感出来ると思う。
それに対してフォーチュンクエストの方は、少々読んだだけでは、あの世界観の良さは伝わってこないので、???と思う人も多いだろうな。

確かにフォーチュンクエスト(以下、FQ)の世界観は、正統派?ファンタージーに比べるとあまりにもいい加減に現在のテクノロジーらしき物が混じっていたり、冒険者にレベルがあったり、防御力、攻撃力なんて言葉も平気で口にする。
正直言って本来なら私が最も嫌う世界観なんだよね。これがドシリアスならとうの昔に放り出しているのだけど、この話がホンワカしているのも救いの一つなのは間違いない。
私はギャグやコメディーの世界観に対していきなり甘くなる所がある、これは別に両者をシリアスに比べて軽く見ているとかじゃなくて、ギャグは文字通りギャグが最大の見せ場。コメディーはその雰囲気が最大の見せ場だからだ。

しかしそれに甘えて、何でもアリだとする世界観が多いコメディータッチのファンタジー物に対してFQは無茶苦茶ながらも、それが罷り通るぐらい世界観をしっかりと作り上げているんだな。
その世界観の常識、ルールという物を事細かに作り出している。それになんと言っても画期的なのが、主人公達の生活における不便面、不潔面をちゃんと隠すことなく描写しているんよ。
隠してるのは、女の子の生理問題ぐらい(笑)
冒険の最中にも、疲れがピークになればちゃんと眠るし、過酷な状況下の中での温かい食事の有り難さ。安易な設定に逃げるのじゃなく一歩一歩踏みしめて活動しなくちゃいけない不便さ、そうした物が女性作家らしい視点から事細かに描かれている為、主人公達の冒険にもの凄い親近感が生まれてくるわけさ。
まあ、正直アルミホイルだとか、ジャンパースーツなんて台詞は使って欲しくないけどね・・・・・・(苦笑)
指輪物語など、正統派ファンタジーでも泥にまみれる苦しい旅の情景は精密に描写されて居るんだけど、何処かお芝居の域を出ないと言うか、ブラウン管の向こうの出来事のように感じてしまう。
これは、これは話があまりにも大きいせいなのが原因なんだろうな。
主人公達だけの力で、何とかしようとしてしまう姿勢というか・・・・確かにその方が格好良いのだけど、様々な人の力に頼ろうとしてしまう、自分達の力だけでやり抜こうとしても無理が出てしまい、結局他者の力にすがってしまう。そんな個人の小ささ、無力感などが何処か足りないと言いましょうか・・・・。人間臭さが足りなくなってしまうんだよね。

そうした人間臭さがあるからこそ、話以外での生活、主人公以外の人々の生活感がひしひしと伝わってくる訳なんですよ。
これを醸し出そうとするのは本当に難しい!
リアルな世界は、遙か昔から何億人もの人々が実際に生活する中で、くみ上げられた世界であり、それを個人の頭だけで組み上げようとするんだから本当に大変な事だ。

でも私を始めとして多くの人がチャレンジする。それぐらい楽しい作業でもあるんだよね。