問題解決には情報こそが「命」

戦争を嫌う、事故のない平穏な日々、平和を願う。


それは素晴らしい事です。いや、変な意味など無く本当にね・・・・。


子供達が傷付かない世の中を!世界に平和を!戦争のない未来を!!


これも本当に素晴らしい願いです!
憎しみは憎しみを生み出す原動力になりますし、話し合いで解決出来る事は話し合いで済ませた方が良いに違いありません。でもね・・・話し合いで済まない事も世の中にはあるんじゃないですか?


凶器が無くなれば人殺しはなくなるのでしょうか? 軍隊が無くなれば戦争はなくなるのでしょうか?


問題はここに有ると思いませんか?


自衛隊反対。軍隊反対と言う主張と、戦争反対という主張は必ずしも=では無いのですよ。
この世の中から凶器が無くなっても、軍隊が無くなっても殺人事件は起こるし、戦争も起きます。
少なくとも現段階において、人類にはまだ「戦争」という手段を捨て去るだけの「文明」「知能」「理性」も足りていません・・・・・・・・・残念ながらね。

事故もそうです、その「物」事態が無くなればその物が原因で起こる事故はなくなっても、何かしら別の物でまた事故は起きます。


凶器も、軍隊(自衛隊)も道具です。
その道具をいかにして使いこなすか?このステップ乗り越える事もなく、ただ無くせばそれで問題が解決するという安易な考えが最近の日本には非常に多く見られます・・・・・・しかし、それは本当に正しい考えと言えるのでしょうか?

「問題の原因である道具を無くせば、その問題は起こらなくなる」この手の考え方は一見非常に効果があるように思えるだけに、簡単に飛びつきたくなるのは分ります。しかし、それで本当に問題解決出来るというのは幻想でしか有りません。
その良い例が「小刀」(コガタナ)でしょう。私が小学生の頃はギリギリまだ授業で小刀の使い方を学びましたが、それ以降は衰退し、今では完全に廃止されてしまっているそうです。
確かに鉛筆削りは機械で出来ますし、竹籤細工も殆ど見かけなくなりました。
使う機会が減っただけでなく、小刀の切れ味は鋭く、下手をすれば大きな事故にも繋がる危険な道具です。そしてその事故の被害にあった子供の家族や関係者の訴えは非常に大きな説得力があります。


しかし、この小刀は刃物という道具を知るには手頃で、使い方を誤ったとしても命に関わるような大怪我に繋がる可能性も低く、刃物という道具全般の入門編としてはとして非常に優れた教育だったと思います。
しかし、この機会を失ってしまった子供達はいきなり子供用と言っても料理包丁からになってしまっています。それもなるべくなら包丁を使わないで済む料理を厳選するようにしているとか・・・・・。
それ所か、これすらも危ないという事で、材料は切られた状態で調理実習をする学校まであるそうです。

この子供達は、今後の人生で一生刃物やナイフを使わない人生を送るとでも言うのでしょうか?
まあ、自宅で教えればいいのですけどね・・・子供達が危ないからと文句を学校に言う親が、自宅で練習させるとも思えませんが・・・・・・・・。

先にも書きましたが、刃物は危険な道具です。
確かに私も、初めて刃物という道具を使い始めてから、今までに数え切れない怪我をしてきましたし、一生傷も数ヶ所有ります。
しかしそんな傷の数よりも、遙かに多くの場面で、この刃物という道具に助けられてきているのは間違いない事実です。
そしてそう言う傷から刃物という道具の恐ろしさも沢山学んできました。
ですから私は、今まで刃物で人を刺そうという気持ちに成った事はありません。冗談で言う事はありますけどね(笑

子供達から刃物を取り上げたら、確かに刃物で起こる事故は減るかもしれません。
しかし子供の教育から小刀が消えてから、青少年の刃物を使った事件件数は増えています。


これは紛れもない事実です。


しかもその事件で被害者が受ける被害内容事態も悪化してきています。
「刃物を人に向けたらいけません」「人を傷付けたらいけません」言葉で教える事は簡単です。そして多くの子供達も、その場では本当に納得する事でしょう。
しかし、冷静でない時や、咄嗟の判断で刃物を使う事を躊躇させるのはやはり自分の受けた痛み、恐怖の記憶です。最後の防衛ラインとも言える機会を無くしてしまうのは本当に正しい、賢明な判断だと言えますか?
確かに、事故の被害で取り返しのない傷を受けた人や、最悪「命」を落とした方の家族の気持ちも分ります。
その道具が無かったら、傷を負う事や命を落とす事も無かったのかもしれません。しかしその道具を無くしてしまう事は、その道具が持つ便利さと、危険性を知る機会すら無くしてしまうと言う事です。
そんな権利が本当に大人にあるのでしょうか?

こんな事を書くと「貴方は自分の子供がそう言う事故に見舞われていないからそう言う事が言えるのだ」という人が居ます。確かにその通りかもしれません。
私には子供がまだ居ませんが、もし子供が出来て、学校で教わらないのだとしたら、私自身が教えるつもりです。私はこういう教育が必要だと思っていますから・・・・しかし今度は「じゃあ、それで良いのじゃないか?他人にまで強要する必要があるのか?」と聞かれるかもしれませんね。しかし私の子供の友達は教わらないかもしれません。刃物の危険性を知らない友達に囲まれて遊んでいれば、せっかく教えても無駄になるとまで言わなくても、確実に薄れてしまいます。
それでは私の子供も危険な目に遭った時に正しい対処が出来ないでしょうし、子供の友人もやはり正しい対処が出来ないでしょう。
その方が良くないと考えているからこう言う事を訴えている訳です。

子供達の教育から戦争や、人殺し等の持つ危険性、恐怖という物がドンドン消し去られています。
それ所か大人の世界ですら、そう言う物から目を背け、出来れば存在しないように思い込もうとしているような動きが見られます。
軍隊という社会の道具が持つ便利と危険性これを出来る限り正確に知る事が、本当の戦争反対運動に繋がると言えるのではないでしょうか?
小刀と違って戦争は経験しない方が良いし、経験してからでは遅い物ではありますが、だからと言って覆い隠してみても、目を背けてしまっても、使わなければならない時には使わざるを得ない「道具」です。
では、そうした時に我々が「本当にやるべき」事は出来るだけ上手にその道具を使いこなす為の知識と、経験を身につける事だと思いませんか?
軍隊を上手に使いこなすとは、上手に人を殺す方法という意味じゃありませんよ・・・念のために書いておきますが・・・。

そもそもどうして過去の戦争は起きたのか?
多くの原因があるが、その戦争はそれらのどの原因が複合して暴走した結果止められなかったのか?
では、どうすれば戦争という最悪の選択を回避出来るのか?
その為にはどんな事を犠牲にすべきなのか?どの様な我慢や、苦痛に耐えなければならないのか?
その犠牲の限界点は?
政府に対してどの様な働きかけをすればいいのか?
その働きかけが効かなかった時に、どうすればいいのか?


そして戦争が起こってからは
どうすれば被害を最小に止める事が出来るのか?
軍隊はどの様に政府がコントロールするのか?
政府や、軍隊が暴走したらどうすればいいのか?
戦争が生み出す「憎しみ」や「怒り」をどの様に解消すればいいのか?

戦争はどんなに嫌がってみても、起こってしまう時には嫌でも起こるし、巻き込まれてしまいます。

こうした知識を我々大人が勉強し、考え、子供達に知らせて行くには戦争の真実(ただ人が大勢死ぬから悲惨なんだよという情報以外にも多くの)を少しでも正確に知る事こそが肝心であるはずです。
その物から目をそらし、我々には関係ない、忌むべき汚い物として無視してみても、ただ無くしてみても何も学べませんし、考える機会も無くなるだけです。


それが本当に良いのでしょうか?


そしてそうした知識も心構えも無く、そう言う事態に飲み込まれてしまった時、人はただ状況に流され、赴くままに感情で行動してしまいがちです。そうした時にどれだけの悲劇をまき散らす事になるか、そして心ない権力者にいかに利用されるか?それも知識がなければ疑問に思う事すら出来ません。


それが本当に良い事なのでしょうか?


問題解決には情報が「命」です。
知識と経験こそが、一般市民の力を発揮出来る原動力になるのだし、避ける事の出来ない悲劇を最低限にする事の出来る最後の手段だという事を忘れないで下さい。