腕の無い絵

この話を聞いた時、もの凄く恐怖を感じましたよ。
皆さんは聞いた事があるでしょうか?最近子供達に自分の絵を描かせると、腕を書かない子供が急増しているそうです。
この子供達に共通しているのが、幼児の段階から始める英才教育。
幼稚園に入る前から、能力開発の教室に通い、私立幼稚園に入る為にお受験。私立幼稚園に入れたら今度は私立小学校に入れる為に受験準備。勿論その間も様々な教室に通わせているんだと・・・・・・・・・。
何時遊ばせてるんですか?と言う質問を親にすると、幼稚園や、教室もお遊び感覚なので、それで十分でしょ?だそうだ・・・・・・。


そりゃあ、おかしくもなるよ・・・。


児童心理学的には、自由を奪われた生活をしている為、子供達は自由な自発的な行動を取る事ができなくなっているという事だ。

その為、正常な子供は自由に自分の絵を描かせると、自分のやりたい事・楽しい事を書くのに対して、生活の殆どを管理されている子供達は、自分が何をしたいのか?何をしたらいいのか?等の判断基準を全て親に依存するようになっており、自分で判断する事が出来ない。その結果、自分の絵を描いても、多くの場合行動を示す役割を果たす「腕」が描けなくなってしまうんだそうだ・・・。
この事実を論文に書いた学者も、これは躾、教育の名を借りた虐待に他ならないとしている。

更に悲惨なのは、この子供達に様々な質問をしても、答える前に親の姿を探してから答え、答えた後も親の顔を確認する事が多いのだそうだ。さらに、親が居ないと殆どの質問に対して答えられない場合が多く、答えてもお母さんがそう言っていたと言う答えが多くなる傾向があるそうで、まるでロボットのようになって居るんだそうだ。

確かに幼児教育は大切な事だと思うよ。
可能性が広がるという観点からも、子供の頃から質の良い教育を受けさせる事は大切な事だろうと思う。その為には、私立の幼稚園、私立の小学校に通わせるというのは、良い事なのかもしれない。おこさまとも偶にこういった話になるのだけど、おこさまは基本的に幼児教育に関心がある方で、子供の将来を考えると、少しでも選択肢が広がる教育は必要だという意見だし、それも本当に良く分るんだよね。


でも、それが本当に子供の為になっているかどうかはどう判断するの?


この年頃の子供達は、常識という物にも捕らわれず、自由な発想と想像の翼を羽ばたかせている。そして成長にしたがってその翼を小さくしていく物だが、スタート時点で此処まで翼を狭められた子供達が、将来どうなるのか?
「みんな同じぐらいに翼を狭める事になるんじゃないの?」って意見もあるかもしれないが、これが面白い物でバラバラなんだな。
大人になっても子供心を持ち、意欲的に生活を楽しんでいる人がいれば、実年齢以上に老け込んだ保守的な人もいる。これに大きな影響を与えているのが、この幼児期における想像力・発想力の育成と言う事なんだよ。

広げた翼を狭めるのは、世間の常識やストレスなどの圧力な訳だけど、平均的な圧力を受ける場合、広げた翼が広い方が狭められる幅は同じでも、残りが多く残るというのは簡単な話だよね。

だからこそ、優秀なスタッフが居る教室に通わせると言う意見なのかもしれないけど・・・・幾ら愛情がある教育を心がけていると言っても、仕事でやってるんですよ?このスタッフ達は・・・・。
子供に対して、預かっている時間内の安全や、教育の結果にはある程度責任は持つかもしれないけど、それ以降の子供の成長にも精神的なケアも教室を一歩出たら関係ない人達なんだよね。
全責任があるのは、親と本人だという事を忘れているのじゃないのだろうか?そこが肝心なんだが・・・・・・・・・・。


幼児教育とは非常にデリケートな物なのは言うまでもない話なんだけど、教育に限らず私達が非常にデリケートな物を扱う時、どう扱う??それが高価で失敗が許されない物だとしても、どうしても触るしかない事態に直面したらどうするか?
先ず、経験者が側にいれば、その人に扱い方を教えてもらうよね?そんな人が居なかったら、その対象をよく観察し、材質、強度を推測し、怖々と指先で触れてみて感触を確かめ、少しづつ慎重に時間をたっぷり掛けて触っていくのじゃないかな?
そして、初めは失敗しても、繰り返し繰り返し触りながら、上手な扱い方を学んでいくしかないよね?


つまり、一番肝心なのは時間と経験だ言えると思う。


一日は24時間有って、その内12時間は寝ているとしても、朝起きたら1時間は大忙しに家事をこなし、6時間近くを保育園、幼稚園(幼稚園はもう少し短い所もあるが)。3〜4時間を各種教室・塾に取られていたら残りは1〜2時間だけなんだよね。
仮に何とか3〜4時間有ったとしても、その中で夕ご飯を食べて、お風呂に入り、歯を磨く時間に取られる訳だけど、その間もミッチリ触れあいながら接したとしても24時間中の4時間でしかない。
たった6分の一の時間で何処まで経験値が積めるのか?大いに疑問じゃないか?

確かに教室に預けていれば、外で遊ばせるよりも学力は付くし、安全かもしれない。中には親子で授業を受ける教室もある訳だから、親子のふれあいの時間に入るという意見もあるだろう。
しかしそれは本当に子供の目を見つめる、経験値を積める時間になるのだろうか?幼児期の教育期間は子供の為だけの時間じゃないんじゃないの?
親も自分の子供とどういう風に接していくかを学ぶ期間でもあるはずなんだよね。

先の例でも書いたように、身近に経験者がいれば、効果的な方法を聞く事も良い方法だ。
だから教室に通うのは、専門家のやり方を学ぶという意味では良い方法だと思う。でも、それが本当に自分の子供に効果的で、適した教育かどうかを見極めるには、子供と少しでも長い時間を掛けて、よく観察し、触れあっていくしか方法が無いんだよね・・・・結局の話。

それが、どの教室にどれぐらい通わせるかを、親同士の世間話・子供に幾ら掛けているだけが、子供に対する愛情のバロメーターになって居るのではないのかな?
自分の自尊心を満足させ、他の親子に自慢したり負けたと思わない為という基準で判断している部分が無いのかな?
子供の発想力、自発力を育成を謳う教室は数多くあるけど、そこに丸投げする事で逆に子供の可能性を狭め、子供と接する時間をいたずらに減らしている可能性はないのか?

親からの視点ばかり書いているが、この期間は子供達が親をどう見るかという事を学習する期間でもある事を忘れてはいけないと思うんだよな。
赤ん坊の頃は、とにかく自分の親しか見えない訳だが、この時期は自分以外の親と、自分の親を比較し始める時期だし、親子の距離を取り始める時期でもあるんだよね。

最近、子供にどう向き合えばいいのか分らないという親が増えてるそうだが、当たり前だつ〜の!!人格形成にもの凄く重要な時期に、朝起きたら保育園や幼稚園に直行!終わったら塾や教室に丸投げ教育、こんな毎日では子供達も流石に疲れるからさっさと寝てしまう。
一日の大半が他人任せ。それで子供達の事を理解出来る方がおかしい話だ。超能力でもない限りね・・・。
こんな環境で成長し、子供達に自我が目覚めてくると、親の存在など自分を管理する大人の一人という以上の認識など出来るはずもないじゃないのか?

一緒に生活していても、会話が少なくなるのも当然で、自分を管理するしかない相手など、出来る限り接触したくなくなるのが当然だし、愛情の育成が難しいのも当たり前すぎる結論だろう。
こんな腕も描けない程追いつめられた子供を量産してどうするつもりなのやら・・・・そしてこの子供達が成人して社会を動かしていく時・・・・・・想像すれば想像する程怖いね・・・・・・・・・。