戦車不要論③

冷戦終了後世界は大戦が起こる確率は減り、軍事費が削減されている中、紛争がそこら中で起こるようになり、本格的な大部隊の派遣よりも、緊急即応部隊を派遣する機会が増えました。

そうなると運ぶのも、派遣先で維持するのも大変な戦車を含む機甲師団よりも、維持が容易な(戦車に比べればの話しですが)装輪装甲車の活躍の場は益々広がっていきました。
その結果大量の戦車を保有するよりも、装輪装甲車を大量に保有したほうが有効なんじゃなかろうか?なんて言い出す人が急速に増えたわけです。

しかし

装輪装甲車や、対戦車ヘリは本当に戦車の変わりになるのでしょうか?
その答えは断じて「否」です。
装輪装甲車は戦車のサポートは出来ますが、戦車に成り代わることは出来ません。
しかし、戦車が装輪装甲車の変わりになることも出来ません。
戦車と装輪装甲車は似て異なる物。極めて近い存在ながら、運用局面に於いてまるで違う思想の元に開発された「道具」です。
そして対戦車ヘリもそういえます。

軍事関係に詳しくない人にはよく分らないかもしれませんが、兵器はあくまで「道具」という事を理解してください。
わかりやすい例では、近くのホームセンターに行ってみた時のことを思い出してください。

別に他のお店でも良いですけど(笑

そのお店の中でトンカチを見てみるとします。実の多くの種類のトンカチが揃っているのではないでしょうか?
鉄製のトンカチだけでも大きさは様々、先が強化プラスチックの物から木槌、ステンレス製の物もあったり、反対側が釘抜きになった物など多種多様の物が売られています。
これは何故か?と考えれば、この問題の答えが見えてくると思われます。

直径が数ミリの細い区議を使うような小さな細工をする時に巨大な木槌を使う馬鹿は居ないでしょう?
逆に太い木の杭を地面に打込む時に、直径数センチの小さな金槌を使う馬鹿も居ないということです。
料理をするのでも様々な包丁を使いこなした方が、多彩な料理が作れますし、レース用の高性能自転車で買い物をしに言っても多くのぬもつを載せることは出来ません。

道具には、それぞれ作る時にこの道具は、どういう事態に使うか?ということを想定して開発されます。
だからこそ、適切な道具を選択して使いこなせば、必要最低限の労力で、短時間に適切な行動を取ることができるわけです。

勿論様々な理由で、適切じゃない使われ方をすることはあります。
偶々手持ちの道具がそれしかないという状況下で、無理に目的を果たさなければならないと言う事もあります。
時間の都合だったり、予算の都合だったりすることもあります。
そうした時には時間的なロスや、労力のロス、戦場では人命を失う事になりますが、やはりそうした強引なやり方は例え目的が達成できたとしても、その引き替えにロスは必ず発生してしまうわけです。
つまり戦車が必要な局面に装輪装甲車を投入しても、最良の結果が得られる訳じゃありませんし、逆もまた然りと言う事なのです。

現代戦では、戦車は必要とされるからこそ存在しているわけだし、戦車が好きだからというロマンチズムだけでその存在が許されるほど、戦場は呑気な世界ではないということです。

それにもっと根本的な話しをしてしまえば、戦車という存在が驚異だからこそ、対戦車兵器は発達するのだということです。
つまり対戦車兵器が強力になったから、戦車は要らないという理論は、その根本的な部分で矛盾しているということです。